台南榕樹日記

ficusmicrocarpaは榕樹(ガジュマル)の学術名。台湾の古都、台南にある榕樹がシンボルの大学での語学留学の日々の記録。

6月23日 我的「小確幸」

桃園空港から深夜バスで台南に着いたのは深夜の3時。土曜日のせいか、そんな時間でもバスの待合室にはけっこう人がいて怖くなかった。待ち受けていたタクシーを捕まえそこねたのだけど、すぐに別のタクシーがやってきた。寮の部屋に着き、顔だけ洗って、ベッドになだれ込んだ。

6時にスマホの目覚まし時計で目を覚ます。そのままダラダラ1時間ぐらいFacebookTwitterを見てしまったりしていたので、今期からはスマホは移動や待ちの時間に見るように決めた。疲れは残っていたけど、明日から授業が始まるので、リズムをつかむためにも、エイっと起きる。

洗面台で洗濯物を手洗いしたあと、共有スペースの脱水機で脱水をして、屋上に干す。台湾は雨季に入って、雨が降ったり止んだり、不安定。寮のおじさんに〈かもめの玉子〉をお土産にあげる。寮のとなりのいつもの朝食屋に行って、お姉さんに「好久不見」と挨拶したあと、フルーツサンドと豆漿で朝食。

予習をするため教科書と「PEN」最新号の台湾特集をもって自転車で〈LOUISA〉へ。週末は勉強する学生や仕事をする社会人で早い時間から混み合っていて、コンセントがあるテーブル席はいっぱい。しかたなくソファ席へ。ずいぶん前のカルチャー特集も勉強になったけど、「PEN」はしっかりと取材をしてくれるので、必ず発見がある。前を通るたび外観が気になっていたレストラン〈十平〉は、台南の多くのリノベ物件を手がけた建築家・謝欣曄の手によるものと知った。この建築家、ほかにも手がけた店舗が台南にけっこうある。注目してみよう。「PEN」の表紙は神農街の奥にある道教の寺院。実物を何度も見ているのに気づかなかった。台南を表紙にもってきたのは「POPEYE」を意識してのことかな。

〈夢時代〉の〈誠品書店〉をぶらぶら。「PEN」に編集長のインタビューが載っていた雑誌「Fountain 新活水」などをチェック。中国語が少しずつ分かるようになると、これまで読めないためにスルーしていたことがつながったりするようになって、カルチャーシーンにも少しずつ明るくなってきた。今日Facebookで「努力は夢中に勝てない」という言葉と出会った。私が夢中になれること、台湾カルチャーをとおして中国語を学ぶことが私にとっては最適の勉強方法だとあらためて思う。努力ではもう若い子に勝てないもの。

〈後甲黃昏市場〉の惣菜屋で日曜だけ売るカレーを夕飯に買う。ゴロッと大きなじゃがいもと大きくて柔らかい鶏肉が入っていて、ルーはたぶんカレー粉から作っていて、私好みの味。日曜の夕飯は寮にある電鍋でごはんを炊いて、ここのカレーと決めている。店のお姉さんにもすっかり覚えられていて、日曜には顔を見るなり笑顔で「咖哩」と言われる。カレーのお供にべつの総菜屋でこれまたお気に入りの大根と生姜の台湾式キムチ・包菜も買う。

部屋でテレビのニュースを観ながら夕食。半年間の台南暮らしでつくり上げた私のささやかな日常がすっかり戻ってきた。明日からの3ヶ月はこの日常を新鮮なものにすることにこそ、努力し工夫をしていきたい。

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6月22日 再回去台南

花巻空港の出発ロビーで17時50分台北行きタイガーエアーを待ちながら今これを書いている。約3ヶ月ぶりの日記だ。書かなければという気持ちはあったものの、課題に追われる毎日で、台南生活を楽しむ余裕がなくなってしまい、書けなくなってしまっていたのだ。暮らしにすっかり慣れて日常になってしまい、新鮮さがなくなってしまったのもある。まだ春なのに連日30度を超す暑さで体の疲れがなかなかとれなかったのこともあるだろう。

その私的には超ツラかった春季コースを終え、ぶじ進級もして、月曜から始まる夏季コースは、D班とよばれる下から4つ目の中級。課題もグンと減るらしいし、奨学金など関係ない私は最低限の授業だけ取ればいいのだけど、前の過酷な3ヶ月の気分が抜けきれず、今少しプレッシャーを感じている。

C班で同じクラスだった、台湾での大学進学をめざす日本人18才のAちゃんは一足先に台南入りしていて、LINEのメッセージをくれた。Aちゃんとはまた同じクラス。先生は若い可愛い感じの人とのこと。怖いおばさん先生だったら、クラスを変えてもらおうと思ってたので、一安心。選択授業で一緒だった、むちゃくちゃ賢いベトナム人の女の子、中南米悪ガキ3人組の2人も同じクラスとのこと。平均年齢低そう。私保護者的ポジション?そして、みんなけっこうしゃべれる。Aちゃんもお母さんは台湾人。日常会話まだまだなのは私だけかも。これもまたプレッシャー。でも、同學たちからも学べるのだ。前向きにとらえなくては。

私はもともと台湾の歴史や文化、映画や音楽などのカルチャーに興味があったのに、そういった話しのできる人があまりいないことや学べる環境がないことがちょっと不満だった。が、今月から台湾の歴史や文化を日本語で学べる月1回のかなり本格的な勉強会に参加することになった。「言語交換」できる台湾人の友達もできた。基本はいちおう身につけたということで、これから始まる3ヶ月はより自分らしく、興味のあることをとおして中国語を学べるように意識していこう。あとで後悔することがないように。

 

3月30日 慢慢來

春季コースがはじまって2週間がすぎた。時間割も決まって、生活のリズムがようやく整ってきた。冬季からひとつ上のC班クラスでは週に2回も「報告」といわれるプレゼンをしなくてはならない。これに集中できるように、選択授業は最低限にした。水木金は、午後からの必修クラスだけという時間割。それでも、予習、復習、小テストの準備、ときどき出される宿題もあって、うっかり気を抜いて忘れていると、昼休みにパソコンルームでおにぎりをかじりながら、あわててやらなくてはならなくなる。

最近分かったことは、語学は付け焼き刃がきかないということ。ひとりで何度も声に出してテキストを読むような地味なくり返しも実はとても意味がある。学生時代、付け焼き刃の勉強しかしてこなかった私もようやくこれに気づいた。

昨日ひとつ発見があった。fの発音だ。上の歯で下唇を噛み、吐き出した息の勢いで口を開きながら発音するものだと思っていた。めんどくさいので適当にごまかすことが多かったが、それは老師には通用せず、いちいち直されていた。唇噛むか噛まないかでそんなに違うかなと日本人は思ってしまうけど、違うらしいのだ。昨日分かったのは、唇は噛んだままでいいということだ。なんだ、けっこうラクじゃないか。これでfの発音がイヤじゃなくなった。「複雑」も「飛機」もドンと来いだ。

語学の進歩は階段状のような気がする。ちゃんと進歩してるかなと悶々とした日々がつづき、ある日ひとつ上の段にいることに気づく。そのくり返し。1年いてかなり話せる人が言っていた。「台灣人と深い話しができるようになるとおもしろいよ」。うーん、早くそうなりたい。

来週1週間まるまる授業がない。今日から来週の日曜までちょっとしたバケーションだ。明日から2泊3日で台東に行ってくる。初めての台東だ。この前の連休にも台東旅行を計画して、宿までおさえたのだけど、台灣鐵道の切符がとれず、断念した。連休前の東海岸への台鐡切符は「プラチナチケット」といわれ、発売開始時間と同時に予約しないと手に入れられない。開始時間をうっかり間違えていて、気づいたときには完売だった。来週の月曜から水曜は学校は休みだけど祝日ではないので、このチャンスは逃してはならないと計画したのだ。

台東は原住民の文化が色濃くて、「台灣で天国にいちばん近い」といわれるほど、自然が美しく、人々があたたかいそうだ。楽しみだ。

来週の金曜には、日帰りで台中にも遊びに行く予定。台中は2度目で、前に行けなかったZINEの専門店<本冊図書館>や第二市場、日本食品を扱う高級スーパー<裕毛屋>に行くのが楽しみ。

リフレッシュできて、モチベーションもあがるような休暇になるといいな。

タイトルの「慢慢來」は、先週クラスが終わったあと、担任のZ先生に言われた言葉。授業中睡魔と戦っていたので、「郁子、頑張ってるのね」と気づかって声をかけてくれたのだと思う。前夜飲みすぎただけなのだけどね。

3月23日 今天都一直下雨

今日は朝から雨が降っている。台南に来てから初めてのことだ。これからの季節、こんな日も多くなるのだろうか。今日は土曜日だけど、都合よく予定もない。天気がいいと、どこかに出かけなくてはもったいないと、貧乏性が頭をもたげてくるが、雨の日は自分に言い訳ができていい。

春季コースが始まって1週間が過ぎた。1度経験しているので、毎日ぐったりしていた冬季コースの最初の1週間とくらべて少し余裕もあって、自分の成長を実感することもできた。

ひとつ上の新しいクラスは、なんと日本人は私だけ。7人の同級生は、オーストラリア人(38才、男)、コロンビア人(30代、女)、アメリカ人(28才、男)、インドネシア人(28才、男)、タイ人(30才、女)、タイ人(23才、女)、ベイリーズ人(22才、男)という構成。20代前半の学生が多かった前のクラスにくらべて、社会経験のある大人が多いのがうれしい。クラス別けは国や成績で決められるのだと思うけど、新しいクラスは3ヶ月間の努力の末に得られた仲間なので、なんだかとても特別に感じる。

冬季コースの成績証明書をもらった。ベイリーズの22才男子と見せ合いっこをしたら必修科目と選択科目両方の点数がすっかり一緒だったので、全体としては中の上ぐらいかなと思う。SpeakingやPronunciationなど6つの中国語能力の5段階評価もあって、このうちListeningがなんと2だった。不合格すれすれ。試験、相当できなかったみたいだ。たしかに、ネイティブの中国語を聴く時間が圧倒的に不足している。意識して増やしていかなくては。Readingが5で、Writingは4。この結果は自尊心を満たしてくれるけど、このままでは、読み書きそこそこ、でもしゃべれない、英語と同じパターンになってしまうので、喜んでばかりもいられない。自分なりの勉強方法をもっと工夫していかなくてはならないと思う。

新しいクラスでは、毎週2回「報告」と言われる発表をしなくてはならない。うち1回はクラスメートと1組になってやらなくてはならないから、中国語でのコミュニケーションが要求される。これがすごくプレッシャー。クラスメートが優しい人たちでよかった。数をこなすうちに慣れると信じて、とにかくひとつひとつやっていくしかない。

新しい寮の生活も気に入っている。寮には2人の管理人のおじさんと掃除のおじさんがいて、この3人のおじさんが、キャラはそれぞれ違うのに、3人ともとにかく優しいのだ。おじさんたちと接していると、命にかかわること以外、怒ることなんて別にないじゃないかと思えてくる。

寮には語学留学の外国人留学生以外に、成功大学の台灣人学生や社会人も住んでいる。ロビーのソファに座って、宿題をしながら、受付に座っているおじさんと台灣人学生や来訪者との会話を聞くともなく聞いていると、台灣社会の一員になった気分になれる。おじさんたちをつかまえて中国語の会話の練習につきあってもらうぐらいの積極性があったほうがいいんだろうな。

 

3月18日 今天上課開始了

今日から春季コースがはじまる。

台南には昨日の深夜戻ってきた。桃園空港からの高速バスが台南に着くのは深夜駅から少し離れた台南公園前なので、タクシーがつかまるか心配だったけど、バスに乗り込んで座っていると、文法のクラスで一緒だったノルウェイ人とアイルランド人の男子の同級生2人とたまたま乗り合わせてきたので一安心。そこにベルギー人の女の子の同級生まで乗ってきた。

欧米人は母国語が英語でなくても、英語が流暢なので、欧米人同士の会話は英語。こういう状況になるといつも、欧米人たちの洗練されたコミュニケーションに引け目を感じてしまう。これ、克服できないものかなあ。

台南に到着後、ぶじタクシーをつかまえ、寮に着き、中に入り、部屋のドアの前で、さあ、これでベッドで横になれるぞーと、カードキーをかざすも、反応なし。設定が狂ってしまったのだろうか。何度やっても同じ。しかたなく、寮のおじさんが来るまで、ロビーのソファで横になって過ごした。朝出勤したおじさんに見てもらうと、日本に帰るとき、触ってはいけないブレーカーをオフにしてしまったことが原因らしかった。入寮のときちゃんと説明を受けていたはずなのに、中国語だったので、聞き流してしまっていたのだ。おかげで、冷蔵庫の電源も切れていて、醤油の容器はカビだらけになっていた。拭き取ると中身の醤油は大丈夫そう。貴重な醤油なので、使ってみることにする。

仮眠をとり、荷物を整えたあと、お昼ごはんもかねて自転車で学生街に出た。3ヶ月過ごした街なのにまだピントが合っていない感じ。ピントを合わせるためになじみの<老友小吃店>で水餃子と乾麺。最初にごはんを食べたのもここだった。その後、前蜂街まで自転車を走らせ、「POPEYE」の台湾特集で紹介されていた<珍古書房>へ。帰りは、ときどき通った大学近くの甘いもの屋で、あずきと芋のかき氷を食べた。かき氷はまだちょっと早かった。少し寒くなった。大学に春休みはないのか、学生街には大学生があふれていた。

1度経験しているのに、また3ヶ月始まると思うと不安もある。ひとつ上のクラスになって勉強についていけるか、5月頃から始まる暑さに耐えられるか、3ヶ月後ある程度話せるようになっているか、など。いっぽうで期待もある。新しい出会いだってきっとある。3ヶ月前より確実に進化してるはずなので、人と比べず、目の前のことをひとつひとつ確実にこなして、気づいたらちょっと高いことろまで来ていた、というふうになっていたらいいなと思う。

3月3日 我會很快回去日本

6日台北桃園発のタイガーエアーで岩手に帰る。その前に台北に2泊して遊ぶので、台南は明日の朝の長距離バスで出発する。今日は帰国を前に街に出てお土産の買い出しをした。

帰国するHさんから自転車をゆずってもらっていた。マイ自転車を手に入れて、ますます街歩きが自由になった。T-Bikeもけっこう使いこなしていたけど、30分をすぎるごとに10元かかってしまうので、目的地の最寄りのステーションにできるだけ乗り捨てるようにしていて、それがけっこう煩わしかったのだけど、これで解放された。ステーションが近くにない郊外にだってのびのびと行ける。

まず向かったのは老舗の手焼きせんべいの<連得堂>。前にお昼すぎ買いに行ったら売れ切れだったので、今日は8時の開店をめざして。お客さんが続々と来ていて、飛ぶように売れていた。1人2袋までなので、定番の味噌と玉子せんべいを1袋ずつ買った。

次はカラスミを買いに<明興商行>へ。台南は台北よりも安いと聞いていた。値段をいうと、それにあった大きさのものを出してくれるとネットに書いていたので、出てきた日本語世代の店のおじいさんに日本語で尋ねると、もう大きいのしかないという。冷蔵庫にあったいちばん小さいカラスミを出してもらって重さを計ってもらうと、なんと1,200元相当。太っていて美味しそうだったけど、完全に予算オーバーなのであきらめた。カラスミ台北で買うことにした。

朝食がまだだったので國華街へ。5年前に旅行したとき通った素食のお店で、芋のお粥と野菜を注文した。台南では美味しいお粥にほとんど出会ったことがないけど、久しぶりに食べても、ここのお粥はまずまずだった。お粥は炊いている時間が長いせいなのか、香港がだんぜん美味しいと思う。

コーヒーが飲みたくなった。台南のコーヒー文化のレベルは高いと思うけど、いい店はだいたい午後2時から。朝8時からやっているのはチェーン店ぐらい。市立美術館のコーヒー店なら9時の美術館の開館と同時にオープンしてるかもと思いつき向かってみると、<I’M COFFEE>は8時開店だった。さすがだ。おまけに早い時間でガラガラ。ソファーを一人占めして、スタイリッシュな店内で、朝のいい時間を過ごした。コーヒーもミドルサイズ50元とリーズナブル。早起きして、コーヒーを飲みに来るなんてのもたまにはいいな。

帰り道、明日の長距離バスのバス停の場所を確認しようと、和欣バスの前を通ると、私をよぶ声が。帰国するため台北に向かうAさんだった。Aさんとはつくづく縁がある。「今ここにいるのがなんだか不思議」とAさん。あっという間の3ヶ月は現実感がないのだろう。「再見」と言って、バスに乗り込むAさんを見送った。

台北は何年ぶりだろう。宿は、次行くときは泊まろうと決めていた中山の<スターホステル>。いつも行く<田園城市>や<蘑菇>のほか、『本の未来を探す旅 台北』で紹介されていた<青鳥書店>や<讀字書店>に行くのが今回の楽しみだ。

台南は日常になってしまったけど、台北へ行くのは旅の高揚感が感じられるのがうれしい。

 

3月1日 今天搬家了

引っ越しをした。今新しい寮で書いている。

前の寮は大学に隣接する学生街にあって、電気コンロのある共同キッチン付きだった。寮費は少し高めだったけど、自炊をするつもりで選んだ。が、近くにスーパーがないし、11階の部屋から14階のキッチンまで調理道具一式をもってエレベーターで移動して料理するのがめんどくさくなり、結局あまり自炊をしなくなったので、高い寮費を払う意味がなくなったのだ。

来季も通うことにしたので、寮費を節約しようと思ったのがいちばんの理由。大学からは少し遠くなるけど、慣れたから大丈夫。ローカルなエリアにあるのも、台湾人のリアルな暮らしに近くなるようでうれしい。前の寮は快適だったけど、ホテルのようだったから。

スーツケースとセブンイレブンでもらった段ボールに荷物を詰め込んで、タクシーで移動しているとき、3ヶ月前の期待と緊張のまじった感覚を思い出した。

新しい寮には管理人のおじさんがいる。これもまたうれしい。おじさんは中国語しか話せないので、まだ十分にコミュニケーションがとれないけど、何かと気にかけてくれていることが伝わってくる。おじさんともっと仲良くなりたい。

部屋は西向きの1階。設備も古くて、机の隣がユニットバスという配置。東ヨーロッパの3つ星ホテルといった感じだ。日当りが悪くて昼間でも電気が必要だけど、これから暑くなるから、涼しくてオッケーと前向きにとらえることにしよう。前の寮にはなかったテレビがあるので、これから毎日ニュースを観て中国語の勉強ができるぞと、さっそく付けてみたら、殺人事件や交通事故のニュースばかりでげんなり。この3ヶ月は台湾の一面しか見ていなかったのかもしれない。

うれしいことはまだある。後甲黄昏市場が近くなったことだ。黄昏市場とは夕方から立つ市のことで、あちこちにあるらしい。果物や野菜、肉屋や魚の生鮮食品のほか、たくさんの小吃店や惣菜屋も店を出している。夕方に行くと、会社帰りらしいキャリアウーマンが夕食の買い物をしているのに出くわし、リアルな暮らしが垣間見える。

初めて行ったときから、活気があって、食べてみたいものがたくさんあるこの市場が大好きになり、前の寮からもT-Bikeで通っていた。試験中はいい気分転換になった。

揚げ出し豆腐やポテトサラダが並ぶ店があり、店主は日本人かと気になって、話しかけてみると、やはり仙台出身の方だった。ここでもう10年やっているそうだ。「最初はなかなか売れなくてね」と店主。台南人の好みに合わせて変えていったのだろう、ポテトサラダはかなり甘かった。味覚をとおして台南人の暮らしに入り込んでいったこの店主の人生もなかなか興味深い。この市場のことはまたあらためて書きたい。

市場で夕食を買って、新しい我が家に向かう初めての道を自転車で走っていたら、ずいぶん遠くまで来たなと感じた。また一から始まるのに、不安がないのは、この3ヶ月で少しタフになったからかもしれない。

明日は少し早起きをして、朝の街を歩いてみよう。