台南榕樹日記

ficusmicrocarpaは榕樹(ガジュマル)の学術名。台湾の古都、台南にある榕樹がシンボルの大学での語学留学の日々の記録。

2月4日 新年快樂!

今年の2月4日は農暦の大晦日、台湾では「除夕」というらしい。朝食を売る小吃店の多くも公休に入り、街は正月モードになった。

寮の最上階にあるキッチンで朝食を作っていると、「18時半から持ち寄りのパーティがあるからあなたも来ない?」寮に住むマレーシア人が声をかけてくれた。「中国語か…」と一瞬躊躇したけど、こういうときが上級者への分かれ道。参加することにした。

パーティには、受付で申請をした男子留学生も来て、総勢30人ほどが集まった。ベトナム、韓国、フランス、イラン、ベルギー、フィリピン…。日本人も3人いて、ついつい日本人と話し混んでしまったけど、中国語でちょっとは会話ができた。

相手の言うことを聴きとれなかったら、「ごめんなさい。私は勉強を始めたばかりで、まだよく聴きとれないの。もう一度言ってくれる?」「こういう時は何と言うの?」と言えばいいだけなのだ。それだって立派なコミュニケーションだ。完璧に話さなくてはいけないと思って、話せないと、笑って適当にゴマかすのは日本人の悪いクセかもしれない。

f:id:ficusmicrocarpa:20190205112840j:plain

世界各国の料理が勢ぞろい!日本人は3人がポテトサラダを持参。フランス人が食べ比べをしてくれた。


成功大学の華語中心にはほんとうにいろいろな国から学生が来ている。今まであまりいいイメージをもっていなかった国の人もなんだか好ましい人が多い。中国ではなくて台湾、台北ではなくて台南を選んだ共通項があるからだろうか。

 

2月2日 放暇開始了!

今日から台湾は9日間の正月休みに入った。暖かい正月だ。1週間前は外気との温度差で毎朝窓が曇り、このまま寒くなっていくのかとちょっと心配したけど、ピークを過ぎたのか、春のような陽気がつづいている。

大学では昨日、休み前の最後の授業中、音楽をかけながら事務室の職員たちが教室に入ってくるので、何事かと思うと、「新年快樂!」と言いいながら、今年の干支の豚の絵が描かれたポチ袋に入った「お年玉」を学生一人ひとりに手渡してくれた。ほんとアットホームでステキな学校だ。

夜は、Hさんと2人で忘年会。地元で人気の居酒屋に行ったら、なんと予約で満席。しかたなく、近くの小吃店で軽く食べたあと、市場でお惣菜、コンビニでビールを買って、私の寮の部屋で飲むことにした。

Hさんはかなりの音楽好き。私の趣味とかぶるところもある。キリンジハナレグミスピッツ中村一義高田漣畠山美由紀、アンサリー…。akeboshiについてなんて人と話すのは何年ぶりだろう。心ゆくまで音楽の話しができて満ち足りた気分になった。どんな暮らしがしたいか。ここ数年ずっと考えてきたことだけど、こんな満ち足りた時間をもてる暮らし、が一つの答えかもしれない。

台南に1年暮らしたHさんと、ほかにもいろいろ語り合う。

暮らすと見えてくることもある。

プライベートレッスンで、私が好きな映画について話しなさいという宿題が出された。私は「非情城市」を選び、一生懸命作文をして、レッスンにのぞんだ。30代の先生はこの映画を知っているけど、観たことはないという。台湾では長年語ることをタブーとされた228事件について描いた作品だ。映画の背景について、好きな理由など、作文を読みあげると、気のせいとすませられるほど、ほんのわずかだけど、空気が変わった気がした。文章の文法と発音を直されただけで、期待したように、先生の感想を聞くことはできなかった。デリケートな話題だったのかもしれない。

街の屋台や小吃店で買い物をするとよく「日本人か」と笑顔を向けられる。インド人が「インド人か」と笑顔を向けられることはないだろう。台湾人が日本人に特別な親しみをもってくれているのは疑いがない。うれしいし、ありがたいと思うのだけど、ちょっと切なく感じるようにもなった。日本が十分に答えているとは思えないからだ。

リアルな現実もふくめて、もっと台湾のことを知りたいと思う。歴史的なこともふくめて語り合えるような、深化した交流ができないかなと思う。ネガティブな感情を向けられるようなことがあっても、台湾のことをけっして嫌いになることはないと思う。震災のとき、あれだけの大きな温かい支援をしてもらった岩手県の、私は出身者だからだ。

f:id:ficusmicrocarpa:20190202115810j:plain

台湾では猪ではなくて豚なのだ。

 

1月26日 高雄是一個大城市

台鐡(台湾の国鉄)に乗って高雄に行ってきた。いやはや、高雄は大都会だった。花巻から台南に行ったので、国立大學があって、一大観光都市の台南は、私にとっては十分都会で、台南の人たちが「台北や高雄は都会だから」と言うのを聞いてもいまひとつピンとこなかった。でも、1日巡って実感した。高雄はグローバル経済に開かれた、一大経済都市なのだ、と。東京からUターンして2年近く経つけど、東京にいた頃感じた寂寥感をたびたび思い出した。

台鐡の高雄駅を利用するのは初めてで、再開発が進む渋谷駅のようだった。地下鉄に乗り換えてまず向かった盬埕區は、かつては文化的にも商業的にも栄えた街らしい。生地問屋が多く、繊維産業で発展した街のようだ。つい最近まで廃れていたであろう大きな布市場を、若者がデザインの力でリノベーションしようという動きがそこここに見られて、上り調子の勢いを感じた。

次に向かったのが、「哈瑪星(ハマセン)」。日本統治時代には日本人街があったらしく、街の名前も「浜線」からきているという。大型国際船も停泊する横浜のような港町だが、ここでも街の歴史を大事にしつつ、若い感性で発信していこうという動きが感じられた。街歩きツアーもあるようなので、中国語がもう少し分かるようになったら、参加してみるのもいいかもしれない。

海沿いを沿って走る「高雄捷運」が開通していたので、乗ってみることに。「軟體園區」という駅で降りると、行ってみたかった<MLD Reading>に近い。「軟体」ってなんだろう、と思っていたら、「Software Technology」だった。車窓からは複雑で人工的な設計の高層ビル群が見えて、上海を思い出した。

<MLD Reading>は、IT企業が多い立地のせいか、あきらかに富裕層向け。<代官山TSUTAYA>よりもスタイリッシュだった。『台灣妖怪』を購入。

タクシーで、パン屋<吳寳春麥店>へ。2010年世界一になったライチとバラのパンを購入。ずっしりと重い。

そして、今日のいちばんの目的、発信力のある独立系書店<三餘書店>へ。入った瞬間、面出しで並ぶZINEを見て、私が求めてたのはこんな本屋だ!と、テンションが上がった。人文系の本も充実していて(読めないけど)、アート・デザイン系と人文系のバランスがちょうどよいのだ。日本のローカルメディア「kalas」や「nda! nda!」まであった。

「東北食べる通信」も見つけた。店員さんに「写真撮っていいですか」と中国語でたずねると、「ここ全部オッケーですよ」ときれいな日本語で答えが返ってきた。「日本語どこで勉強したんですか」と話すうちに、ワーホリで盛岡で働いたこともあるという。すっかり忘れていたが、盛岡の本好き仲間に、「<三餘書店>に盛岡で働いてた子がいるよ」と聞いていた、まさにその子。すごい偶然だ。高雄で盛岡の本屋や共通の知り合いの話しで盛り上がるとは。好きな本の話しだと、こんなにもつながれる。こんなつながりを仕事にできたら。思いがふくらんだ。

帰り道、台鐡高雄駅へ向かう地下鉄のホームで待っていると、ホームの端で大声を出してケンカが始まり、騒然とした雰囲気になった。となりで並んでいるおじさんが、「けんかが始まりました」とスマホに吹き込んでいたので、「高雄は都会ですね」と日本語で話しかけてみると、「台灣のニュース観ると、毎日こんなのばっかりだよ」。

地下鉄の電光掲示板には、「夜間は女性は気をつけて下さい」「歩きスマホはやめて下さい」といった、日本でも見慣れた言葉が流れる。台南駅までの切符を買おうと窓口に並ぶと、おじさんが駅員に怒鳴りつけている。開発の速度に振るい落とされた人が荒れているような印象を受けた。

ほどなく自強号に乗り込みほっとひと息。東京で働いていた頃のことを思い出し、窓に映る街灯に照らされた夜の地方都市のロードサイドの風景を眺めて物思いにふけっていると、大失態。なんと台南駅を乗り過ごしてしまったのだ。来たときと同じ自強号だから、停車駅は同じなのに。私はぼんやりしてときどきこういうことをしてしまう。時間は18時台、まだまだ列車はある。次の駅で引き返せばいいだけなのに、動揺はなかなかおさまらなかった。駅員さんや、私の動揺に気づいた通りすがりの方の、何気ない心づかいが心に染みた。私も岩手で動揺した外国人を見たら、親切にしてあげよう。

帰りは各駅停車。耳慣れない言葉を使う少数民族の方を多く見かけた。もうひとつの台灣を見た思い。台南暮らしが居心地良すぎて、外国にいる感覚が薄れ、気がゆるみすぎていたかもしれない。このぐらいで済んでよかった。いい毒出しになった。台南駅につくとホッとした。ここが私のホームだ。私はもう都会では暮らせないだろう。

1月18日 期中考結束了

期中考(中間テスト)が終わった。テストと聞くと、条件反射で拒否反応をおこしてしまい、どんよりとした1週間だった。それほど勉強したわけじゃないけど、結果は上出来だった。ふだんから宿題と予習復習をしていたからだ。テストは評価され選別される機会というより、自分の実力を知ることができる貴重な機会なのだ。学生時代もこんなふうに考えて、ふだんから楽しみながら勉強していたら、もっと違った今があったかもしれない。

課題も明らかになった。ヒアリングがダメなのだ。私はやはり耳が良くない。聴き取りが苦手なので、会話も躊躇してしまう。ペーパーそこそこ、でも、会話イマイチ、という英語と同じパターンになってしまわないように、これから意識して勉強していかなくては。

木曜日から朝の8時10分から10時まで、4,500元追加で払って、一對一というプライベートレッスンも入れた。こうでもしてとにかくネイティブの中国語を聴いて話す状況をつくらないと。先生はグループレッスンと同じZ老師。優しくて熱心だし、気心の知れた先生なのでよかった。

グループでも「郁子(ユーヅー)はどう?」と質問されることはもちろんあるのだけど、私がすぐに反応できないのを分かっているので、突然当てたりすることはない。まずは、下のクラスで基礎から学んできた若い子たちに当てて、最後の方に順番がまわってくる。

が、一對一ではそうはいかない。ちょっと長い質問をされて、正しい文法で答えようとすると、途中で質問を忘れてしまい、「請再說一次(もう1回言ってください)」と言って、もう一度言ってもらい、ひとつひとつ単語を並べ、やっと答えるといったかなりトホホな感じだ。でも、Z老師は優しいの辛抱強く待ってくれる。私が真面目に勉強していることを知っているからということもあるだろう。会話の勉強は先生と生徒の信頼関係が大事なんだなと思う。先生に恵まれたので、一對一も頑張ろう。

ひとつ気づいたことがある。私は高い目標があるほど、モチベーションが上がる、ということ。グループでも、選択の発音や文法のクラスでも、会話はいちばんできなくて、ちょっぴり劣等感を感じたりするけど、一つ上のクラスまで勉強することを決めたことだし、上のクラスが終わる頃には、「あれ、郁子、いつの間にこんなに話せるようになったの?」とみんなをちょっと驚かせるぐらい話せるようになっていたい。まだ勉強を始めたばかりだからと自分を甘やかさずに、これぐらいの目標を設定しよう。みんなの驚いた顔を見たときの得意な気持ちをイメージして。

f:id:ficusmicrocarpa:20190120150317j:plain

聽力がやっぱり苦手…。

 

 

1月14日 一個月過去了

f:id:ficusmicrocarpa:20190114110123j:plain来台して1ヶ月が過ぎた。髪がゴワゴワ以外は、とくに問題はない。食事で困っていることもないし、湯船に入れないのにも慣れた。勉強も前向きだ。

1ヶ月でどれぐらいお金を使ったか、ちょっとコワいけど、計算してみた。25,440元(=96,672円)ほど。これには、1ヶ月分の寮代6,700元と、マットレス代3,900元(買わなくてはいけない!)、SIMカード代1,100元のほか、教科書代や日用雑貨など、初期にかかるコストも含まれているから、食費や遊びなど暮らしにかかったお金は40,000円ぐらい。ほかに、カードで8,000円ほど買い物もした。

台湾の物価にも慣れてきたので、意外なものが高いことに気づくようになった。たとえば、トイレットペーパー。寮のトイレにはトイレットペーパーホルダーがあるから、当然のように探したが、これがなかなか見つからない。寮の近くの雑貨屋で1種類だけ売っていたので迷わず買ったが、次に買うとき、150元(=570円)もするので驚いた。日本だってこんなに高いの使ってない。12ロールで、芯が太くて、紙質だってたいして良くないのに。台湾ではトイレットペーパーは高級品のようだ。次からはティッシュタイプにしよう。

中国語のほうは、だいぶ耳が慣れて、先生が授業でよく言っている「イーバンライシュオー」が「一般來說」だと分かったり、エレベーターが言ってることが分かったり、日々発見はあるのだけど、街にあふれている繁体字はあいかわらず繁体字の羅列でしかないし、耳にする台湾人たちの会話はところどころしか分からない。ある日上達を実感できることを夢見て、今は日々授業に出て、宿題をこなすしかないけど、みんながやっているように言語交換とか、もっと主体的な勉強方法も見つけなくてはいけないかもしれない。

留学は3ヶ月の予定だったけど、使えるレベルにもっていかないと意味がないので、1度帰国して、また戻って3ヶ月勉強することにした。そういう日本人は多いらしい。東京にいた頃、一生懸命仕事していたので、貯金がある。今が使うべきときかなと思う。

母に話すと「いいんだ、いいんだ。頑張れー」。応援してくれている。昨夜急に電話をよこすので、何事かと出ると、私の健康保険が父の口座から引き落とされた報告。払わなくてもいいということらしい。親というのは、いくつになっても、子どもが勉強するのはうれしいらしい。

クラスの9人のうち、早くも1人脱落した子がいる。国に帰ったまま戻ってこないのだ。そういう留学生は少なくないらしい。授業料を親が出していると、そんなものかもしれない。私も大学生の頃そんな感じだった。お金を払った分は勉強したい。そこだけは大人になったと思う。

 

 

1月6日 去電影院看電影了

日中は半袖でも大丈夫なのに、日が暮れると急に肌寒くなる。服装が難しい。出身国によって体感温度が違うから、北欧の人たちはタンクトップなのに、台湾人はユニクロのダウンを着ていたりする(でも足元はサンダル)。

台南の公共自転車T Bikeを乗りこなせるようになって、行動範囲がグッと広がった。あれは使わないともったいない。市内の観光スポットや公共施設などの近くにステーションがあって、寮近くのステーションから目的地の近くのステーションに乗り捨てて、帰りはまた別のステーションから寮まで、というふうに使える。30分以内なら料金はタダ。地下鉄のない台南では、市民もよく使っている。この間は街で飲んだあとT Bikeで帰ってきた。

国に帰る人にゆずってもらったという自転車でバイクの大群と並走するHさんを見たとき、「私には無理!」と思ったけど、なんでもまずはやってみることが大事だ。ただ、台湾運転手に歩行者優先の概念はないので、そこを忘れてはいけない。

日本でチェックしていた本屋やカフェ、雑貨屋さんにはだいたい行けた。これで一安心。でも、ちょっと物足りなさも感じるようになった。『本の未来を探す旅 台北』で<田園城市>を経営するヴィンセントさんも評価していた<城南舊肆>や、日本でもファンの多い雑貨屋<蘑菇>が閉店していて、期待していたほどの知的な刺激が得られていないからだ。尖ったセレクションや洗練されたデザインの高品質高価格帯の商品は、台南ではあまり売れないのかもしれない。「刺激がほしいなら、台北か高雄じゃない」。長い人は口をそろえて言う。

昨日は、台湾南部出身のアン・リー監督が若い頃通っていたという映画館、全美戯院に「カメラを止めるな(一屍到底)」を観に行った。街中にある、60年の歴史をもつ台南一古い映画館だ。映画の看板がふつうに手書きなのがスゴい。

f:id:ficusmicrocarpa:20190106165729j:plain

向かいの通りで、看板職人のおじさんがスターの写真片手に看板を描いていた。

客席は200席ほど。急な階段には足元にライトもないから暗闇の中移動するのは一苦労。お客さんの入りは3割程度。子供連れがいて、この映画大丈夫かな、と思う。「カメラを止めるな」は日本で一度観ているが、役者さんがみんなハマっていて、2度目もやはり面白かった。ラストの人間ピラミッドのシーンではまた泣き笑いしてしまった。このシーンは台湾人にも受けていた。助監督の「ラスト15秒!」のカウントダウンを一緒にしてる人までいた。

料金は140元(約530円)。台湾人の感覚ではそう安くはないかもれしれないけど、観客の入れ替えもないから、1本の料金で2本観ても怒られなさそうで、気軽に入れそうだ。

台南では映画好きにとって、映画館で映画を観るということが、今も特別なことではなくて、つっかけで行けるような暮らしの近いところにあるのかもしれない。

尖ったセレクションもいいけど、こんな豊かさだってあるのだ。

f:id:ficusmicrocarpa:20190106165013j:plain

アクション映画や怪獣映画が多いのはたまたま?ぜんぜんスノッブじゃない。

12月31日 安靜的年終

今年のお正月、台南で年を越すことになるなんて予想もできなかった。

去年の5月に岩手にUターンして、何か勉強になればと、時給850円で隣町にできたばかりの町づくりの団体で仕事を始めたものの、勉強にならないどころか、人を雇用しているという自覚もない団体で。これからどうやって生きていったらよいか、お正月じゅう深く悩んでいた。

いくつかの縁があって、今こうして成功大學の寮の11階の部屋にいて、夜景を眺めながら遠くに聞こえる爆竹の音を聞いていると、小さな決断はしたものの、もともとめざしてたんだっけ?と感じるほど、違和感がない。それほど、台南という街が水に合っているようなのだ。

日本では無職という身分なのだけど、去年薄給だったおかげで、税金や保険料が安くすんでいる。留学前抱いていた帰ったらどうするのかという不安も今はない。中国語をもっと話せるようになりたい。台南という街やそこに暮らす人のことをもっと知りたい。今はそんな気持ちだ。

年末年始は4連休。すっかり慣れたT-Bikeで、気になっていた場所をたくさん巡ることができて満足だ。慌ただしい旅とは違うから、疲れたら、また次にしよう、と思えるのがうれしい。台南の年末は、廟の近くの路地に宴会料理の宴席が並んでいる以外は、いつもの週末とあまり変わりがない。

昨日おとといは、林檎ニ手書店、聚珍台灣書店、紅豆湯の慕紅豆、粽の老舗再發號、文学館とリニューアルしたばかりの市立美術館、路地裏の一軒家カフェa Room。

今日は、城南書肆(閉店していた。ショック!)、鍋焼意麺の人気店小豆豆、艸祭Book inn、林百貨。それから、台南で最初に友達になったHさんに教えてもらった、南十三珈琲。

街を歩いていると、小さな発見がたくさんある。地図上で名前を知っているだけだった路地に足を踏み入れると、頭の中の私だけの地図がアップデートされていく。短くてもお店の人と言葉をかわすと、街の表情が見えてくる。

南十三珈琲は路地の奥にある、古い住宅を改装した珈琲店。メニューは珈琲のみ。大きなテーブルのカウンターで、中年のマスターがサイフォンで入れた自家焙煎珈琲を、マスターとの会話や音楽を楽しみながら味わう店。覚えたての中国語でも臆せず話すことができた。

台南の若者がやっているカフェでよく見かけて気になっていたCD「幸福在哪裡(幸福はどこに?」があったので、かけてもらう。台南出身の歌手が歌っているから、応援しているのかと思っていたら、メッセージに共感しているからのようだ。アコースティックギター1本で歌う、プロテストソングのような閩南語の歌詞は意味が分からないけど、ジャケットがメッセージを伝えている。「日本一樣(日本も同じ)」と言うと、マスターは頷いてくれた。

連休最終日の明日は初めてのちょっと遠出。路線バスに60分ゆられて、郊外の歴史博物館に伊能嘉矩展を観に行くのだ。

国に帰る学生が多いせいか、年末の太子寮は静かだ。ひとり旅の夜とも違うこの感じ。暮らしていると、旅の高揚感の代わりに、こんな静かな孤独が味わえる。

f:id:ficusmicrocarpa:20181231212036j:plain

街でよく見かけた「沒有人是局外人」のステッカーもあった。政治的なメッセージだろうなと思っていたら、やはり原住民の権利を守ろうというものらしい。