台南榕樹日記

ficusmicrocarpaは榕樹(ガジュマル)の学術名。台湾の古都、台南にある榕樹がシンボルの大学での語学留学の日々の記録。

1月26日 高雄是一個大城市

台鐡(台湾の国鉄)に乗って高雄に行ってきた。いやはや、高雄は大都会だった。花巻から台南に行ったので、国立大學があって、一大観光都市の台南は、私にとっては十分都会で、台南の人たちが「台北や高雄は都会だから」と言うのを聞いてもいまひとつピンとこなかった。でも、1日巡って実感した。高雄はグローバル経済に開かれた、一大経済都市なのだ、と。東京からUターンして2年近く経つけど、東京にいた頃感じた寂寥感をたびたび思い出した。

台鐡の高雄駅を利用するのは初めてで、再開発が進む渋谷駅のようだった。地下鉄に乗り換えてまず向かった盬埕區は、かつては文化的にも商業的にも栄えた街らしい。生地問屋が多く、繊維産業で発展した街のようだ。つい最近まで廃れていたであろう大きな布市場を、若者がデザインの力でリノベーションしようという動きがそこここに見られて、上り調子の勢いを感じた。

次に向かったのが、「哈瑪星(ハマセン)」。日本統治時代には日本人街があったらしく、街の名前も「浜線」からきているという。大型国際船も停泊する横浜のような港町だが、ここでも街の歴史を大事にしつつ、若い感性で発信していこうという動きが感じられた。街歩きツアーもあるようなので、中国語がもう少し分かるようになったら、参加してみるのもいいかもしれない。

海沿いを沿って走る「高雄捷運」が開通していたので、乗ってみることに。「軟體園區」という駅で降りると、行ってみたかった<MLD Reading>に近い。「軟体」ってなんだろう、と思っていたら、「Software Technology」だった。車窓からは複雑で人工的な設計の高層ビル群が見えて、上海を思い出した。

<MLD Reading>は、IT企業が多い立地のせいか、あきらかに富裕層向け。<代官山TSUTAYA>よりもスタイリッシュだった。『台灣妖怪』を購入。

タクシーで、パン屋<吳寳春麥店>へ。2010年世界一になったライチとバラのパンを購入。ずっしりと重い。

そして、今日のいちばんの目的、発信力のある独立系書店<三餘書店>へ。入った瞬間、面出しで並ぶZINEを見て、私が求めてたのはこんな本屋だ!と、テンションが上がった。人文系の本も充実していて(読めないけど)、アート・デザイン系と人文系のバランスがちょうどよいのだ。日本のローカルメディア「kalas」や「nda! nda!」まであった。

「東北食べる通信」も見つけた。店員さんに「写真撮っていいですか」と中国語でたずねると、「ここ全部オッケーですよ」ときれいな日本語で答えが返ってきた。「日本語どこで勉強したんですか」と話すうちに、ワーホリで盛岡で働いたこともあるという。すっかり忘れていたが、盛岡の本好き仲間に、「<三餘書店>に盛岡で働いてた子がいるよ」と聞いていた、まさにその子。すごい偶然だ。高雄で盛岡の本屋や共通の知り合いの話しで盛り上がるとは。好きな本の話しだと、こんなにもつながれる。こんなつながりを仕事にできたら。思いがふくらんだ。

帰り道、台鐡高雄駅へ向かう地下鉄のホームで待っていると、ホームの端で大声を出してケンカが始まり、騒然とした雰囲気になった。となりで並んでいるおじさんが、「けんかが始まりました」とスマホに吹き込んでいたので、「高雄は都会ですね」と日本語で話しかけてみると、「台灣のニュース観ると、毎日こんなのばっかりだよ」。

地下鉄の電光掲示板には、「夜間は女性は気をつけて下さい」「歩きスマホはやめて下さい」といった、日本でも見慣れた言葉が流れる。台南駅までの切符を買おうと窓口に並ぶと、おじさんが駅員に怒鳴りつけている。開発の速度に振るい落とされた人が荒れているような印象を受けた。

ほどなく自強号に乗り込みほっとひと息。東京で働いていた頃のことを思い出し、窓に映る街灯に照らされた夜の地方都市のロードサイドの風景を眺めて物思いにふけっていると、大失態。なんと台南駅を乗り過ごしてしまったのだ。来たときと同じ自強号だから、停車駅は同じなのに。私はぼんやりしてときどきこういうことをしてしまう。時間は18時台、まだまだ列車はある。次の駅で引き返せばいいだけなのに、動揺はなかなかおさまらなかった。駅員さんや、私の動揺に気づいた通りすがりの方の、何気ない心づかいが心に染みた。私も岩手で動揺した外国人を見たら、親切にしてあげよう。

帰りは各駅停車。耳慣れない言葉を使う少数民族の方を多く見かけた。もうひとつの台灣を見た思い。台南暮らしが居心地良すぎて、外国にいる感覚が薄れ、気がゆるみすぎていたかもしれない。このぐらいで済んでよかった。いい毒出しになった。台南駅につくとホッとした。ここが私のホームだ。私はもう都会では暮らせないだろう。